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私と HONDA 360
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浜松製作所出張
『本田技研浜松製作所』。主に二輪車を生産している、ホンダ技研発祥の地
である。新機種の立ち上がりで、約3ヶ月の出張を命じられた。
その頃は出張は電車を利用するのが普通で、車を利用する場合は
特別に申請する事が必要だった気がする。何とか理由を見つけて
車で行く事が出来た。
N360の走行距離が30,000kmに達しようとしていたので
ダイナモのブラシを交換してから行く事にした。
プーリーを固定する特殊工具がない為、ギヤーを入れてエンジンが
回らないようにし、17mmのボルトにメガネレンチを掛けて、ハンマーで
叩いて締め付けた。
東名高速の『浜名湖インター』を過ぎた頃に、チャージランプが点灯
し始めたので、直ぐに車を停められる場所を探して、来る前と
同じやり方で、ボルトを締め付ける以外方法が無かった。
しかし、時すでに遅く、チャージランプが消えることは無かった。
初めて行くところで、あとどの位の時間でたどり着けるのか分らない。
もし、エンジンが止まったら、セルモーターも回らなくなってしまうかも
しれない。
地図を頼りに、当時覚えたてのヒールアンドトーを駆使して、交差点で
アイドリングを高めに保ちながら、何とか会社指定の寮にたどり着いた。
その後、エンジンをかけてみたら、セルモーターは大丈夫だったので
ホンダSF(HONDA Service Factory)。ホンダの車を修理、車検などを
する直営店に持ち込んで修理を依頼した。
ダイナモの『ローター』と『ステーター』を交換すると部品代が高いので、点検
してみて、交換する必要がある時は連絡もらえるように依頼した。
駄目な時は中古でも探そうと思っていたからだ。
何日か後職場に連絡があり、早速引き取りに向かった。
請求書を見て驚いた。Assyで交換されていたのだ。
出張前に支給された手当てと、手持ちのお金では足りず友人に借りて何とか
支払う事が出来た。せっかくの出張なので、休みの日にはアソビまくるはずが
とんでもない事とにってしまった。
そんな事があって、人間いやな記憶を忘れる能力を持っていると聞いたことが
あるが、どんな仕事に携わったか、全然思い出せない。
鮮明に印象に残っているのは、スーパーヒット商品、多少のモデルチェンジは
あったが、今でも生産されている、『スーパーカブ』の組み立てラインの
異常なまでの短さだ。10m位しかなかったのだろうか。
狭山工場のラインと比べると、バイクは小さいこともあるのだろうがその
スピードもかなり早かったような気がする。
こうして初めての出張は終わった。そしてまもなく、『鈴鹿製作所』に
行く事になる。
鈴鹿製作所出張
『本田技研鈴鹿製作所』。当時の工場の中では、一番大きい敷地があり、
大型二輪車、『HONDA1300セダン』や『HONDA1300クーペ』発売間もない
初代『CIVIC』を生産していた。それまでのホンダの四輪車と言えば
高回転、高出力の車が殆どだったが、排気ガス規制の『マスキー法』の
影響もあり、社内で色々議論が交わされた後、本田宗一郎さんの
あくまでも『空冷』でいく、と言う主張を覆して、水冷エンジン搭載の
『CIVIC』が誕生したと聞いたことがある。
水冷S.O.H.C(シングルオーバーヘッドカムシャフト)ダウンドラフトタイプ
シングルキャブレター、タイミングベルト仕様、電動ラジエターファンが装備され
横置きに配置され、前輪駆動車だった。それまでに販売された、HONDAライフ360の
エンジンを4気筒にして、シリンダー数が増えた事による、エンジンのバランスの
良さからバランサーシャフトを取り外した様なエンジンに思えた。
先輩が『HONDA1300』セダンの77セダンを持っていたので時々運転させてもらって
いたが、100馬力も有りハンドルも重いし、FFの癖が多いように思っていたが、
その加速は非常に良いと感じていた。総排気量が1200CCで60馬力GLは69馬力)しか
無いのがそんなに売れるとは、自分では思わなかったのだが、多分メーカーでも
同じ事を考えていたのではないだろうか。だが意に反して販売台数が伸びて生産が
間に合わなくなった。出張のお呼びがかかり、鈴鹿製作所に行くことになった。
今回もまた、N360で行く事になった。確か連休後に鈴鹿に着けば良かったので
下呂温泉経由で一泊することにし、高速を使用しないでのんびり行く事にした。
前回、浜松出張で懲りたので、完全に整備して、エンジンオイルも高級な物を入れた。
その頃は車も年収に比べて高かったし、オイルやガソリンも割高感があった。
車を買ったのは良いが、ガソリンを入れるお金が無くてどこにも出かけられない
日も多かった。エンジンオイルも、交換時期をはるかに過ぎてから交換していた
様な状況だった。皆がそんな感じなので、エンジンを焼きつかせた人たちが大勢
いたようだ。また、その頃は車検も無く、壊れるまで乗っていたようなので、
前述のように『ブラシ』が減ったまま乗ってしまいAssyでの交換になったり、
フロントホイールのドラムのナットが緩んで、ドラムが外れたなんていうことも
あったようだ。ホンダでも、何回も、設計変更を余儀なくされ、
N360最終型で究極の形になり、今でも多くの車両が同じ様な取り付け方法を
踏襲している。
例に漏れず今回も、独身寮の二人部屋だ。こちらから行った仲間が、お互いの
部屋を行ったり来たりしていたので、誰と一緒だったか、思い出せない。
今回は余計な出費が無いことをいい事に、仲間と色々な所に遊びに行き、給料日を
待つ羽目になった。そんな時は、みんなで集まり、トランプや花札などに興じていた。
その内に誰かがマージャンの話を持ち出し、私はそれまでやった事はなかったが
夢中になった。また、失態をしてしまう。
『CIVIC』の生産ラインのうちの、エンジンシリンダーブロックの『少組』の班に配属
された。本ラインよりは楽なラインだ。ヘッドにエキパイなどを取り付ける為の
スタッドボルト等をインパクトレンチに特殊なBOXを取り付けて締め付けるという
単純な作業の繰り返しだ。狭山工場でやっていた作業と比べれば、ものすごい
楽な作業だ。それがいけなかったのかもしれない。
毎日のようにマージャンばかりやっていたので、作業中に眠くならないはずがない。
それでも、割りと責任感が強いせいか、作業のミスをしたという記憶は無い。
たまに、ボルトの長い方を入れてしまい、シリンダーヘッドを割ったことは何回かは
あるが、他の人と比べても少ない方だと言われていた。
昼休み。何時ものように、早く食事を済ませて構内の芝生で昼寝をしていた。と言っても
目を閉じて横になったり、親しい人たちとたわいも無い会話をしていたのが常だった。
が・・・。どうしたことか、その日に限り深い眠りに陥ってしまった。
いや、マージャンのやり過ぎで。
作業が始まる時間になっても、私が居ないということになり、時々同じ班の現地(?)の
人とも休んだりしていた場所で、惰眠を貪る、私が発見された。
一体何時間昼寝をしていたかは思い出せない。その時もお咎めなし。
私にとって平和な良い時代だった、などと懐かしくなる。
その他にも大きな過ちを犯したが、私一人の事ではないのでここではまだ書けない。
こうして3ヶ月に及ぶ応援は終わり、戻った時には、メインラインでHONDAZ水冷の
エンジンと足回りを取り付ける班にと配属になった。
F1参戦?
どの部署だったか覚えていない。ドアーの窓越しに見えるテーブルを
7,8人で囲み、なにやら重要な会議が行われているようだった。
なんとテーブルの中央には『F1』と書かれた部品が置いてあるではないか。
いよいよ、一時中断と発表されていた『F1グランプリ』に参戦かと
思わずにはいられなかった。
その部品は当時生産されていたホンダ車に取り付けられているのを見たことが
無いものだった。他のメーカーの車種でも見かけたことがない。
メカニカルフェールインジェクション
出張を終えた後も、『HONDAF1』の話は出てこなかった。その後勤める
ことになった販売店でその謎が解けた。『H1300クーペ』という空冷の
車種に水冷エンジン1450CCを搭載した『145クーペ』という車種があった。
その中に機械式フェールインジェクションを装備したモデルがあったのだ。
キャブレター仕様のモデルが80PS 6,000RPMだったのに対して90PS 6,500RPM
というものだった。
お客さんが乗っていて、エンジンルームを見させてもらった。
あの時、テーブルの上に載っていた部品がカムカバーの横に誇らしげに
取り付けてあるのを見た。『F1』の部品ではなく『FI』の部品だったのだ。
少し試乗させてもらったが、高回転になればなるほど力強い加速感を味わう
事が出来、エンジンは何回転までも無制限に回ってしまうのではないかと
いう思いに捉われた。
そうだ。あの時、ある人が、燃費など気にせず、これまでのホンダ車の
高回転高出力を体感できるセッティングにしようと言い出したに違いない。
これは想像であって、燃費が悪かったと言う事は聞いたことは無いし、
本当は迫り来る排気ガス規制に対応する為の試作の意味合いもあったのだろう。
最後の作業
『本田技研大和製作所』で造られたエンジンが、大型トラックに積まれて狭山製作所に
運ばれてくる。今度のメインラインの仕事と言えば、前述のようにボディ係から
降ろされてくる車体に乗せるエンジンにサブフレームや足回りなどを取り付ける
作業だった。この頃になると、毎日、毎日同じ作業の繰り返しに飽きていたのかもしれない。
『CIVIC』をホンダの販売店で購入したことがきっかけになり、転職する事になる。
HONDA 勤務最終章
1963年に『HONDAT360』の販売に始まり、一大旋風を起こした、『N360]』等の
日本独自の軽自動車360CCの規格車の生産が打ち切られた。
それと同調するように、私もまた、本田技研を退社する事になった。
しかし、その時には現在のような仕事をする事になろうとは想像することも
出来なかった。縁とは不思議なものである。
ホンダ技研に入社するきっかけとなったのは、『S600』のエンジンを初めて
目にした事だと思う。また、実兄が修理工場に勤めており、実家で自分で乗っていた
バイク(多分ホンダ製)のエンジンを開けてピストンなどを交換するのを度々
見ていては、こんな小さな部品でなぜあんなにスピードが出るのだろうと不思議だった。
部品の名前などなにも解らなかったが、カムシャフトやミッションのギヤー等に
見とれていたいた記憶がある。その頃から車に、そして、エンジンに興味が沸いて
いたのかも知れない。
河川敷でN360でタイヤを滑らせて遊んでいる時に、大きくジャンプしてクランクケースを
割ってしまった。走行距離も伸びていたし、『CIVIC』にも魅力があったので寮の近くの
販売店に行って見積りをしてもらった。何とか払えそうな金額だったので、直ぐに
購入する事にした。角ばったバンパーの『GL』が欲しかったのだが、N360には
乗れないので、納期が早くて、値段の安い『HI−DX』に決めた。
納車を待つ間に何回か販売店を訪れているうちに、営業所の所長と話が弾み、ついには
その販売店に勤める事となった。
CIVIC 1200 について
先輩のKさんがH1300セダンの『77』を所有していた。
ホンダ技研のモニター車でエンジンや足回りなどの部品については、どんな乗り方を
して壊れようが、全部ホンダで無料で修理するということだった。
それを良いことに、随分無茶な走りをさせてもらった。
ハンドルが異常に重い印象と、後で解ったことだが、FFの癖が非常に強い感じがした。
100馬力もあるので加速が良すぎて、アクセルを踏むのに躊躇した。
それに比べて、60馬力(GLは69馬力)しか無い『CIVIC』はどんなものだろうと思っていたが、
加速はスムースだし、ハンドルも軽い、フロントはマックファーソンストラットの
セッティイングを極め、リヤーにも同じサスペンションを採用し、四輪独立懸架に
なった事で、コーナーリングは非常に良かったような気がした。
何よりも乗りやすい車と言った方が良いと思う。
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